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心理カウンセリング/トラウマ治療(神奈川県横浜市)
IAP横浜相談室
【主な実施場所】(関内駅周辺の施設に変更になる場合があります)
〒231-0048 神奈川県横浜市中区蓬莱町2丁目4-7 澤田聖徳ビル
トラウマや生きづらさを抱えた人々にとって、「過去の出来事を思い出さないようにする」ことや、「気持ちを切り替えようとする」ことは、しばしばうまくいきません。
頭では理解していても、無意識に残された痛みは、日常の中で静かに、しかし確かに影響を及ぼし続けます。
FAP療法は、こうした意識だけでは届かない領域に、深く穏やかに働きかける心理療法です。
言葉を超えたレベルでトラウマ反応を和らげ、自然な回復の流れを促します。
一般的な認知行動療法が「考え方を変える」アプローチだとすれば、FAP療法は「存在そのものを静める」アプローチだと言えるでしょう。
ノイズを打ち消しあうように、トラウマを治療する。
私たちの無意識には、過去の痛みや恐れが「ノイズ」のように滞留しています。
これらは日常の中で意識に上ることは少ないものの、人間関係や出来事に反応する形で、
知らず知らずのうちに不安や緊張、自己否定感となって表れてきます。
FAP療法の回復メカニズムは、こうした無意識のノイズに対して、
「同じ波形を反転させることでノイズを打ち消す」
ノイズキャンセリングの仕組みと非常によく似た働きをします。
このプロセスを支えているもののひとつが、ミラーニューロンと呼ばれる脳内の仕組みです。
ミラーニューロンは、他者の感情や行動を自分自身のもののように感じ取り、共鳴する機能を持っています。
FAP療法では、この無意識の共鳴機能を活用して、
クライエントの中にある苦痛の「振動」と、カウンセラー側から発する「打ち消しの振動」とが、
自然に共鳴し合い、静かにノイズを中和していくのです。
そのため、トラウマの記憶を無理に変える必要はありません。
ただ静かに働きかけるだけで、苦しみの「音量」が次第に下がり、
気づかぬうちに心が穏やかさを取り戻していく。
FAP療法は、感情を抑え込むのではなく、
無意識の共鳴と中和によって自然な静けさを導くアプローチなのです。
一般的に「共感」と言うと、
相手の感情を理解し、言葉や態度でそれを伝えることを指します。
しかし、FAP療法が目指す共感は、それとは少し異なる次元にあります。
FAP療法における共感とは、
クライエントの無意識に響く深い痛み――その振動そのものに同調することです。
言葉でなぐさめるのでも、問題を分析するのでもなく、
ただ存在として、クライエントの内側に流れる苦しみの「周波数」に寄り添う。
そこから、自然な中和が生まれます。
まるで二つの波が干渉し合い、互いを打ち消して静まっていくように、
FAP療法の共感は、痛みを無理に変えるのではなく、痛みそのものと共に在ることで、
結果としてその力を失わせていきます。
理解や分析を超えたところで、ただそっと共に在ること。
それが、FAP療法がもたらす「究極の共感」のあり方です。
東洋の医学や哲学には、「中庸(ちゅうよう)」という考え方があります。
それは、単に「バランスをとる」ことではありません。
極端なものに引きずられず、どちらか一方に偏ることなく、
静かに、自然な調和の状態を取り戻していく――
そんな深いあり方を指します。
FAP療法が働きかけるのも、まさにこの「中和」のプロセスです。
トラウマは、心の内部に生まれた極端な偏りとも言えます。
恐れや怒り、不安といった感情が、
ある方向に過剰なエネルギーを持ち続け、
それが無意識の中でノイズとなり、生きづらさを作り出してしまう。
FAP療法は、その偏ったエネルギーに直接抗うことなく、
静かに、打ち消す方向に響き合い、整えることで、
自然な「中庸」の状態へと心を導いていきます。
無理に変えようとせず、押し付けることもない。
苦しみの存在そのものを尊重しながら、
ただ、極端さを和らげ、静かな中心に戻していく。
それは、西洋的な「治す」という発想とは異なり、
東洋的な「整える」「調和する」という回復観に、どこか似ています。
FAP療法が目指しているのは、
無理に心を変えようとすることではありません。
過去の痛みや恐れを「なかったことにする」のでもなく、
それらを抱えたままでも、自然に、静かに心が整っていく道を支えるのです。
ノイズキャンセリングの仕組みに似た働きにより、
無意識に滞っていたノイズは打ち消され、
極端に傾いていた感情のエネルギーは、中庸へとやわらかく戻っていく。
理解されることすら難しかった深い痛みが、
ただそこに「共にある」ことで、静かにその力を手放していく。
FAP療法は、
「何かを達成する」ための手段ではありません。
心の深いところで、自然な静けさを取り戻すためのプロセスなのです。
苦しみが消えたわけではないのに、
それに振り回されずに生きられるようになる。
そのとき、人は「回復した」と静かに気づくのかもしれません。